タラタラしてんじゃねえよ

悩み多き美大生の随筆に近いブログ

荒波

 

人生は荒波だとか海だとか、

そう言い表した人ってすごいね

言葉のチョイス無意識なのかな

 

 

荒波が環境だとしたら、

その船を舵取りするのが自分の役目で

誰しもそうであると考える。

 

船と船がぶつかって沈んじゃったりね

そういうイメージも人間に当てはまるから面白い。

 

船を実際操縦したことはないけど、

昔の船だったら帆を風に合わせて舵取りしたり、今ではいろんな機会を同時に操作したり(?)で漂っていく。

(正直飛行機系の方が舵取りレベル高そう)

 

自分の人生で取らなければならない舵ってなんだろう。

 

・自己否定や欠点を受けとめる

・コミュニケーション技術

・感情がむき出しにならないように

・相手と比べたがる自分への回避

・考えすぎないように

・自然体で、思ったことを素直に

・その場が安定する空気にする

・自分がいるだけでいいのだという肯定

・余計なことはしない方がいい

・「今日頑張った者のみ明日が来る」意識

・愛されない自分を責めない

・自分を責めすぎない

 

 こんなもんだろうかな。

 

忘れた頃に戻ってまた書き直して、

舵取りはコツと慣れが必要なのかも。

 

 

心地い静かな海を漂うためにも、

自分の船はちゃんとバランスを取らなきゃ。

大事。 

ウェルカムようこそ

 

もう自分で自分を苦しめるのは辞めようと。

 

環境ではなく自らを苦しめて飛躍的に良くなっことなどなかった

 

すごく悲しく、愚かで、虚しい行動。

 

 

これからは諦める・認める・受け入れる

 

この三銃士とともに生きていこうと考えてみる。

 

 

もともと発達障害レベルに人とコミュニケーションが取れなかった自分は、

 

その答えを探して模索の日々でした。

 

 

少しずつ何かが変わったとは思うけど、

はっきり言ってものすごく苦しい。

 

 

この苦行が自分のためになるのだと思い込んでいたら、いつの間にかそれが当たり前になって

 

苦行してない自分がダメとか

できない自分がダメ、

超えられない自分がダメ、

人の輪の中に入れない自分がダメ、

 

全部ダメ、ダメ、ダメと無意識に否定し続けていた。

 

人は何かが偏ってはいけない。

否定することが真っ向から良くなかったとは言わないが、

限度を超えてしまった。だから死にたくなるほど現実が辛く思える瞬間が山ほどあった。

 

 

成長はしたい。

 

でも成長させるために自分を否定しては特に成果もあげられずずっと苦しいままだってことは今まで自分に気づいてあげられなかった。

 

 

自分は素直になることが怖い

 

人とずれてることにコンプレックスやわだかまりをもった経験が何回もあるから。

これも間違いではない。

 

人間は社会的な動物だから、

ある程度コミュニティに属したほうが生きやすいのだ。

(私はコミュニティに依存したくはない)

 

コミュニティの中で情報を得たり、幸福を得たり、新しい自分を発掘できる。

 

明日からすぐ変わることはできないが、

また少しずつ自分を肯定していきたい。

 

✖️

〇〇ができない自分

=価値がない、ダメ、愛されない

 

〇〇ができない自分

=けど〇〇はできる

 

人の価値は友達の数やスペックやお金で測れないし、

ダメってそもそもなんで真っ向からそうなってしまうのか。

また愛されない原因は別にあるし、

人気者になったってたぶん心の飢えや孤独は消えないだろう。

 

 

羨ましい、

うまくできない、

失敗した、

苦手、

欠点、

間違えた、

ミス、

 

こういった負もあって人間なのに、

今までというか今もすんなり自分に受け入れることはできない。

時間がかかりそうだ。

 

 

 中学生のころから飛躍的に進化したと思う。

コミュニケーション能力、

倫理観、

センス、

まだまだと思うけど、そこにはまだ成長したいというモチベーションがある。

(これを現実の自分との自己否定につなげては苦しくなる)

 

自分をもっと好きになるために、

自分の弱いところはしっかりわかるようになりたい。

 

マイナスなことがあれば

「それが今の自分なんだ」と。

反抗的であれば少しずつ頑張ろう。

 

否定的な自分も自覚して、「あ、いま否定的だわ」って感じ取りたい。

 

むっちゃがんばってここにいるのだと。

過去には感謝したい。

 

むちゃくちゃな文章をこのインターネットの海の中に投稿することもある種の覚悟だし、

良いや別にこんな文章公開してもって思って、完璧を求める頑固さを認めていく。

 

 

バランスを取る難しさ。

人生って船かな。

 

 

高校

 

以前、卒業というタイトルで高校のことを少し書きましたが、

 

 

奇しくもその母校に行く機会ができました。

 

 

高校時代のいつもの2人と恩師に会いに行くことに。

 

電車に乗り、バス、高校前のバス停で止まってラッキー

 

高校時代からこの流れ変わってません

3年間も通うと身体が覚えてるものなんですね。

 

 

春休み中ということもあって学校内は閑散としていました。

 

廊下に飾ってある学生の作品は入れ替わりつつ、その汚さや臭さは何ひとつ変わってない。

 

 

卒業してから2年目の春がこんなに遠くて懐かしくなるなんて正直驚き。

冷静に考えてまだそんなに経ってない。

 

一方で

中学校は"懐かしい"の域なのに、

高校は"今日も学校だ"という感じ、今日も学校に来て授業しなきゃって感覚だった。

 

あんなに卒業したと思ってたのに、

本当に卒業したのかな

 

居心地が良すぎる

いい思い出がつまったところ

 

 

 

盗む

 

実力のなさの実感

 

学校に入ってからそれが鋭く現れる。

 

 

ただでさえ人を惹きつける才がない自分に残るものは何だろうか。

 

 

 

みんなすごい。

 

 

いや、そんなすごい人が沢山集まる場所に入った理由は、その人たちからすごさを学ぶためだ。

 

 

素直に負けを認めよう。

 

認めた上でのあがき。

 

 

人間なんて生まれたときからもう人生なんて決まっているようなもんだ。

 

それにあがいて何かが180°変わることはない。

負け戦。

 

だが、それでもなおあがいていたい。

 

自分が自分で楽しいと思える場所へ、

理想の場所へたどり着きたい。

 

 

インターネットがある、

頭がある、

時間がある、

 

自分を上の域まで高めたい。

 

 

いろんな人からいろんなものを盗め

 

卒業

 

学校のおわりは卒業式ということになっている。
しかし、それで本当に卒業した人が何人いるでしょうか?
本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」と気がつくことです。


三島由紀夫
Mishima Yukio

 

 

 

幼稚園、小学校、中学校、高校の中で私が一番たのしいと感じる時期は高校生の時。

 

中学校でこじれにこじれた人間への不信感や、現実からの逃避から脱却すべく、

高校時代はとにかくのびのび生きられるよう努力した。

 

 

卒業アルバムを読み返す。

 

自分がよく写っている。読んでいるだけでたのしい気持ちになれる。

 

たのしいという感情だけが記憶として蘇る。

だが、たのしい気持ちだけがこの時期を支配していたわけではない。

 

孤独・不信感・不満・嫉妬

 

様々な負の感情が自分を責め立てていたのをまだこの身体は忘れていないようだ。

 

人間は細胞でできている。

その細胞ひとつひとつ、自分の思想によって左右されると信じ、自分の幸福を探しながらもがいている。

 

今もそれは変わらない。突きつけられる現実と理想の間で揺れている。

その初期段階であるこの時期は様々な葛藤があった。

 

今見れば何も怖いとは感じないが、当時は他のクラスの連中、"普通の高校生"という概念に怯えたり、実力のなさ、完璧にこなせない自分への苛立ちに心はずたずたにされていた。

 

講評はみんながうまくて悔しい。

悔しい感情は肯定され、自分を責め立てる材料となった。

涙があふれ、なぜ自分には上手く描けないのか自問自答をする。

帰り道は自転車をこぎながら涙を流し、行き詰まった心をどこへ向かわせるか必死に探していた。

 

小学校から中学校の時期を破滅させた"めんどくさい"という感情、

今も大して変わっていないが、

これに支配されながらも抵抗・あがき、どこへ向かえばいいかわからなくともとにかく手をつけたときもあった。

 

こんな自分でも友達はできた。

幼少期に人と関わらず、この時期になってどう関わればいいのかわからなかった自分に対し関心を持ってくれた友達を大切にしたい。

 

グループの中、会話の中に入らない孤独と違和感、毎日それに支配されながらも、今思い返せば必死に生きて、それなりにたのしい思い出になったのだろう。

 

めんどくさがった自分が愛おしい、

必死になってた自分が尊い

力のなかった自分が愛らしい、

無知だった自分が可愛らしい、

他人を下に見ていた自分が阿呆らしい、

 

必死になってた自分を讃えたい。

 

 

より進化したものへ生まれ変わりたい一心で今も生きている。

それはこの時期の延長線にすぎず、何も変わらないこともたくさんある。

 

ただ、

このアルバムを読み返してたのしい気持ちが沸き立つのは、

この時期の自分が客観的なものになったことだろう。

 

人間は過ちを正し、二度と繰り返さないことができる生き物だ。

 

今現在のもどかしさも、そのうち馬鹿らしくなるのだろう。

 

孤独・嫉妬・不勉強・不満

 

これは結局自分を高めるための時間を奪う邪魔なものに過ぎない。

 

ならば、何をすればいいのか。

答えは高校時代を過ぎた自分なら分かっているはず。

 

 

 

違和感からの脱却、

勉強、

自分の心に正直になること、

人間と関わるときは調和を意識すること、

忘れないようにメモすること、

身体は大事にすること、

嫉妬に邪魔されないよう他人と比べないこと、

失敗を恐れて行動をやめないこと、

挑戦し続けること。

 

 

自分にとって大事なことは差し詰めこんな感じだろうか。

 

 

実は、高校生のときの理想にだいぶ近づいている。

ここまで来るのに3年ほどかかった。

 

あくまで自分は自分、他人は他人、

今を楽しむ方がいい。

 

今日頑張った者に明日は来る。

 

この明日の先に未来はあるのか。

 

 

高校時代の自分を驚かせたいと、

胸の内にある。

 

引用:https://mobile.twitter.com/historyimg/status/572020560735023104?ref_src=twsrc^tfw&ref_url=http://twinavi.jp/topics/tidbits/54f31e6e-0b1c-4da1-a652-6cd65546ec81

変化

 

 

人間は変化を嫌う

 

と誰かが言っていた。

 

 

正確には、

人間は変化を求めるが、元に戻る力の方が強く、変化をめんどくさがる。

 

 

現状や環境への不満から変化を求めるが、

なかなか抜け出せない。

 

頭ではわかっていても、身体が追いつかない、動かない、めんどくさがるようだ。

 

脳は求めているものを獲得する努力をめんどくさがり、一度習慣づけた行動や思想を変えたくないのかもしれない。

 

思想は行動に、行動はやがてその人の形や雰囲気まで付随してくる。

 

今の現状に不満があればその原因を探り、

解決に基づく行動や思想をすればあながち変わってくる。

 

簡単にいけばのはなしだが。

 

 

 

仕事と作品

 

 

昨日、

学科の卒業生の映画を手伝いにいった。

 

集合場所は駒沢大学駅周辺の高所得な住宅街の一角にあるアパート。

 

スタッフ5人ぐらいで借りた一冊なんだろうなと、その中で浮かないか使えなくならないか不安と緊張を押し殺しながら向かった。

 

監督と合流してからわかっのは、これからやることは音声の補助ではなく、音声担当としての監督の補助だった。

音声を任されなお緊張する。

同時に、今日のスタッフが私を合わせて3人、アパートの撮影では2人という少人数である現場に親近感を覚えた。

 

 

移動中に映像で生活することを開く。

 

自主映画で食べていけるわけはない、クライアントと脚本家がいて映画をつくる価値と資金が発生し、期限以内に完成させることを求められる。

クリエイティブな仕事に締め切りはつきものだが、予算と時間、また制作時間とギャラでは割に合わないのだそうだ。

1ヶ月で10万円、映画資金に割り当てていったり何円が給料になるのだろうか。

 

学生時代に何に力を入れるべきか。

例えば、専門的な技術とクリエイティブな技術両方できる人と、専門的なことが著しくできる人、これは専門的なことが著しくできる人に仕事がまわる。

 

なんでもできる人は以外にもまわってくる仕事は少ない。

しかし、専門的なことを著しく頑張っても広がらず、それだけの人になってしまいかねない。

 

なんでもできるとはどこまでの域なのだろうか。

ジャンルとして考えて、やはりなんでも触ったことがある方が価値がある。

だが、人に紹介するときは「○○の自分」として知ってもらうためのレッテル用に何かを極める必要がある。

 

私はアニメーションかな。

仕事は来るかわからない、だが今いろんな手伝いに参加することが後に自分の力量になることを信じている。

 

先輩と話して結局かっこいいやつは、

何言われようが自分作品に正直な人。

 

評価されなくても、

作品を作った経験がものを言う。

 

私もそれなりに作品を作り続けたい。

頭ではわかっている、身体に訴えかけたい。

 

新宿の歌舞伎町の夜で撮影したという刺激。