タラタラしてんじゃねえよ

悩み多き美大生の随筆に近いブログ

理想

 

ありのままの自分と

理想の自分

 

 

この二つのバランスが良いとき

人は人間らしく生きられると思う。

 

ありのままの自分って正直、

欠点だらけで不満や居心地の悪さの原因になりうる。

正直すぎてもだめなのだ、どういう人と接しやすくするか、軸を変えていくことが大切である。

 

理想はどうして現れるのだろう。

 

他人の良いところをみつけたとき、

自分の醜さ、欠点が浮き出てくる、これを払拭するためなのだろうか。

 

 

ただ、人間簡単には変化はできない。

蛹ではない。

 

何兆個という細胞でできている我々、

その変化を完了するのにどのくらいの時間がかかるのだろうか。

 

 

無理することはない、無理をすれば自分を苦しめる一方、適材適所、どこに軸を置くかが大切なのだ。

 

ありのままの自分と理想の自分

 

ファッションは理想を

言動はありのままに

 

バランスのとれた生き方とはこのことなのだろうか。

 

 

理想の鍛え方、まねること。

 

まねて取り込め

 

 

思考と実感とコントロール

 

頭で考えること、

感じること、

 

 

どれも同じ一人の人間が脳という機関で行なっている現象だ。

 

でもこの二つの行いは全くの別物だと思う。

 

 

 

 

自分を自分で至らしめているもの、思想

 

人はこの思想を変えることができ、思想が変わることで日々の"思考"を築いていく。

 

思想を変えるエネルギー

これさえあればすべては万事かと思われた。

 

しかし、実に厄介な現象が思想の転換を妨げているのだ。

 

実感

 

 

人が何かに直接したとき感じる感覚。

 

 

言うなれば、頭でわかっていても心は素直であるということだ。

 

いくら思想や思考をコントロールしようとしても実感が邪魔をする。

 

 

充足感とは一体

 

 

よくわからない

学生生活3年目にして、

決して順調ではないことをここに記します。

 

 

わたしはいま、自分のセンスの無さに絶望しています。

つまるところ何がかっこいいのか、
魅力なのか、ダサいのか、できるのか、
すごいのか、何なのかわからない。

自分には何ができて、何ができないのか。

努力すればできることなのか、
他人の評価を欲しているのか、
安定か、

疑問だらけで破裂寸前です。


よく"あるがまま"が結論としてでますが、
果たしてこれはいいものなのでしょうか。

自分が憧れてるもなになれない、
あふがままの自分は評価すらされない。

悲しみの限りです。


"あるがまま"を脱するためにあらゆる時間を費やすのか。

センスとは何か、
自分とは何か、
信じるもの諦めるもの

すべてがごちゃ混ぜになってしまって簡単に言えば収集がつきません。

まるでアイコンが散らかっているデスクトップのようです。

自分がデスクトップならいますぐ再起動させたい、

しかしこれはいままでと同じように繰り返されてきた歴史


いつまでこの無限地獄に堕ちていればいいのかよくわかりません。

 

時間もありません。


ここは結論として"諦める"が正しいでしょうか。
人に好かれなくてもスマートでなくてもおしゃれでなくてもいい、そういった割り切りが自分には必要なのでしょうか。


創作活動は難関しています。
何に囚われようが、自分の作品に向き合うことが正解なのでしょうか。

人を羨むことに卒業できたとき、人は悟りに入るのでしょうか。


よくわからない。

 

よくわからないということがよくわかったので、早く楽になりたいです。

 

乱暴な終わり方

 



じっくりことことと

 

 

はじめまして、

はてなブログはじめてみます。

 

 

もしかしたら続かないかもしれない

 

 

というのも、

ブログ開設はないはじめてじゃなくて

中学生の頃に少しやっていました。

 

実に勢いと素直さに満ちた文脈で

その当時大好きだったラジオやつまらない日常を大げさに綴っていました。

 

今ではいい黒歴史です。

 

 

継続力が欠落しているため続けられるか自分と相談しましたが、

気軽に、考えすぎるなということで落ち着きました。

 

果たしてこれが自分の糧となるのか。

 

思ったこと、グッときたものを素直に出せるようになればいいな

 

Oo