タラタラしてんじゃねえよ

悩み多き美大生の随筆に近いブログ

卒業

 

学校のおわりは卒業式ということになっている。
しかし、それで本当に卒業した人が何人いるでしょうか?
本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」と気がつくことです。


三島由紀夫
Mishima Yukio

 

 

 

幼稚園、小学校、中学校、高校の中で私が一番たのしいと感じる時期は高校生の時。

 

中学校でこじれにこじれた人間への不信感や、現実からの逃避から脱却すべく、

高校時代はとにかくのびのび生きられるよう努力した。

 

 

卒業アルバムを読み返す。

 

自分がよく写っている。読んでいるだけでたのしい気持ちになれる。

 

たのしいという感情だけが記憶として蘇る。

だが、たのしい気持ちだけがこの時期を支配していたわけではない。

 

孤独・不信感・不満・嫉妬

 

様々な負の感情が自分を責め立てていたのをまだこの身体は忘れていないようだ。

 

人間は細胞でできている。

その細胞ひとつひとつ、自分の思想によって左右されると信じ、自分の幸福を探しながらもがいている。

 

今もそれは変わらない。突きつけられる現実と理想の間で揺れている。

その初期段階であるこの時期は様々な葛藤があった。

 

今見れば何も怖いとは感じないが、当時は他のクラスの連中、"普通の高校生"という概念に怯えたり、実力のなさ、完璧にこなせない自分への苛立ちに心はずたずたにされていた。

 

講評はみんながうまくて悔しい。

悔しい感情は肯定され、自分を責め立てる材料となった。

涙があふれ、なぜ自分には上手く描けないのか自問自答をする。

帰り道は自転車をこぎながら涙を流し、行き詰まった心をどこへ向かわせるか必死に探していた。

 

小学校から中学校の時期を破滅させた"めんどくさい"という感情、

今も大して変わっていないが、

これに支配されながらも抵抗・あがき、どこへ向かえばいいかわからなくともとにかく手をつけたときもあった。

 

こんな自分でも友達はできた。

幼少期に人と関わらず、この時期になってどう関わればいいのかわからなかった自分に対し関心を持ってくれた友達を大切にしたい。

 

グループの中、会話の中に入らない孤独と違和感、毎日それに支配されながらも、今思い返せば必死に生きて、それなりにたのしい思い出になったのだろう。

 

めんどくさがった自分が愛おしい、

必死になってた自分が尊い

力のなかった自分が愛らしい、

無知だった自分が可愛らしい、

他人を下に見ていた自分が阿呆らしい、

 

必死になってた自分を讃えたい。

 

 

より進化したものへ生まれ変わりたい一心で今も生きている。

それはこの時期の延長線にすぎず、何も変わらないこともたくさんある。

 

ただ、

このアルバムを読み返してたのしい気持ちが沸き立つのは、

この時期の自分が客観的なものになったことだろう。

 

人間は過ちを正し、二度と繰り返さないことができる生き物だ。

 

今現在のもどかしさも、そのうち馬鹿らしくなるのだろう。

 

孤独・嫉妬・不勉強・不満

 

これは結局自分を高めるための時間を奪う邪魔なものに過ぎない。

 

ならば、何をすればいいのか。

答えは高校時代を過ぎた自分なら分かっているはず。

 

 

 

違和感からの脱却、

勉強、

自分の心に正直になること、

人間と関わるときは調和を意識すること、

忘れないようにメモすること、

身体は大事にすること、

嫉妬に邪魔されないよう他人と比べないこと、

失敗を恐れて行動をやめないこと、

挑戦し続けること。

 

 

自分にとって大事なことは差し詰めこんな感じだろうか。

 

 

実は、高校生のときの理想にだいぶ近づいている。

ここまで来るのに3年ほどかかった。

 

あくまで自分は自分、他人は他人、

今を楽しむ方がいい。

 

今日頑張った者に明日は来る。

 

この明日の先に未来はあるのか。

 

 

高校時代の自分を驚かせたいと、

胸の内にある。

 

引用:https://mobile.twitter.com/historyimg/status/572020560735023104?ref_src=twsrc^tfw&ref_url=http://twinavi.jp/topics/tidbits/54f31e6e-0b1c-4da1-a652-6cd65546ec81